自己中心的な幸福観とその限界

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こんにちは、【幸せは自分で掴み取るものだ】というフレーズをよく聞きますが、幸せの体積は有限なのでしょうか。それとも、無制限にあるものだからもぎ取れという意味なのでしょうか。今回は【幸せ】についてお題がありましたので、私なりの解釈を重ねていきたいと思います。

「幸せ」について、多くの人が勘違いしていることって何だと思いますか?

まず初めに考えることは【幸せは有限か】という話です。要するに、【幸せ】というものには上限があり、補充がされなければ【幸せ】が枯れてしまう、という話です。

よく、【私は幸せに満ちている】【相手の幸せを願う】【幸せは掴み取る】などと、幸せには増減するような表現がされています。もちろん、【幸せ】は目に見えませんし、個人による主観的な指標で振れ幅の変動がされているのだと思います。

では、【幸せ】は限定的な効力(ゲームで言うバフ)なのでしょうか。【幸せ】な状態へと到達することで、自己肯定感や高揚感といった自己充足へと繋がっているのかもしれません。【幸せは有限か】の有限は個人間で発生するのか、ある枠があってその中で分配されていくのか、を考えていく必要があります。個人間で幸福の上限があるならば、自己中心的な人間が他者の【幸せ】を獲得しようとする働きかけがみられるため、あまり説明がつきません。やはり、共有される幸せを分配している方が説明がつきそうです。

では、【幸せは無限だ】と仮定し、話を進めてみましょう。無上限に発生する【幸せ】であれば、誰かが不幸せになることもなくなりそうです。しかし、現実は残酷で、【シャーデンフロイデ(人の不幸は蜜の味)】といった考え方もあるように、誰かが不幸になることで得られる【幸せ】というものもあるため、人間のあり方において【幸せは有限】の世界で分配がなされているようです。

幸せを分配するといった考え方は、【幸せ】が他者と分かち合うものであり、幸せを分け与えるといった贈与論的な考え方もできます。要するに、自分が知り得た【幸せ】をおすそ分けをする、その【幸せ】は返報性の原理で、【幸せ】なのか別の形なのかはわかりませんが、何らかの形で自分のもとに返ってくるのです。

多くの人は【幸せ】は自分でつかみ取るような考え方を持ちますが、現実的にとらえると、自分が何かしらのアクションを他者に働きかけ、他者がそれによって【幸せ】だと感じない限りには自分に【幸せ】が戻ってこないということです。肝なのは、【相手がありがたいと感じている】という状態であり、自分が相手のためになると思って行動している限りは【幸せ】は巡ってこないのかもしれません。皆さんも意識して働きかけてみてくださいね。

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